【編集部コラム】推しが〇〇(hatchi)【第12弾】
今日も今日とて仕事をして電子書籍で漫画を読み、某プライムでアニメを見て、本を読んで過ごしているわけですが、久しぶりに某漫画のなかの登場人物に「推し」ができたんです。みなさんは「推し」、いますか?
昨今、オタクたちがこぞって叫んでいる「推し」という言葉。わたしもよく使います。推しがかわいい、推しが尊い、推しが…気づくといつもそんなことを呟いている、という人が大半ではないでしょうか。(個人の主観です)
「推し」という言葉は、いわゆる「アイドルオタク」と呼ばれる人たちが使い出したことが始まりだそうです。
自分の好きなアイドルグループのなかから、最も好きな対象人物を「一推しメンバー」と表現するようになり、それが短縮化されて「推しメン」と呼ばれるように。さらにそれが簡潔化した「推し」が広まっていったのだということです。いわば「ファン」ということですけれど、「他人にすすめたい(推薦したい)ほど気に入っている人やモノのこと」というのが広義だそう。なるほど。たしかに実在の人だけでなく、漫画やアニメやゲームのキャラだったり、果てはジャンル全体にかかる言葉として使われていますよね。「推しジャンル」とか言うもんね。
単なる「好き」だけにとどまらない、圧倒的な高揚感…そう今やほとんど死語となりつつある「萌え」と同義の心の高鳴りを覚えるのが「推し」だと思うんです。なんていうか、もう崇高な存在なわけですよ推しって。(個人の主観です)そういえば、推しを愛で、情熱を注いで応援することを「推しごと」とか「推し活」などと言ったりもしますよね。誰が考えたんでしょうねその言葉。うますぎますよね。ホント、まさに「推し」のために「活動(生活)」している「推し活」はもはや「人生」、いや、むしろ「推し」そのものが我が人生と言っても過言ではないのです。
そうやって、わたしの生活を潤してくれている推しについて、特に漫画やアニメなど2次元のほうの「推し」について。今回ちょっと言いたいことがあるんです。
前々からずっと思ってたことなんですけど、一言だけいいですかね?
「わたしの推し、わりとよく死ぬ」
コレ、ホントにもうつくづく勘弁してほしい。まじで。
つい先日も、予備知識なしで見ていた某アニメの推しがお亡くなりになってしまいました。
完全に「死亡フラグ」が立っていたので覚悟はしていたんですが、いざその時を迎えると…そらショックですよ。何度経験しても慣れないですよ。
もちろん、死亡者の出ない平和な漫画(スポーツ漫画や日常系など)もありますが、その場合でも大概は「異動(転校)する」「外国へ行く」などの事案が発生して、本編からフェードアウトしてしまうのです。なんでやねん。でも、それはまだいいんです。生きてるから。いつかもしかしたら、最終回とかにまた何食わぬ顔をして出てくるかもしれないでしょ。
しかし「死亡エンド」。お前はダメだ。だって、もう二度と推しが本編に出てこないってことだよ。誰かの回想とかで出てくる可能性も残ってるけど、もう活躍しないししゃべらないし笑顔を見せてくれないんだ。泣ける。しかも、先日お亡くなりになった推しは脇役も脇役で、死にかたがなかなか悲惨だったうえに何なら誰にも思い出してもらえないんだぜ?こんなひどいことってあるか?神も仏もないとはこのことだ。ストーリー上は必要だし原作者は神だと思ってるので展開に文句はないんですけど、なんというやるせなさ…しばらく引きずりました…。要所要所にちょっとしか出てこないけど、お気に入りのキャラだったのに、主役からしたら知らない人だから話題にも上らないし、みんな存在を忘れたみたいになっててさ…あの人が死んだことなんて誰も知らないんだぜ?なんでやねん。とりあえず、推しを殺したアイツぜってぇ許さない。
なんてことを考えながら、残りのストーリーを楽しんでいます。いや、くやしいけど面白いアニメなんですよね。推しはいないけど見ちゃう…ひどい。
わたしの推しは死ぬ。だいたい死ぬ。死なないと思ってても、8割死ぬ。なかにはもっと高い割合で推しが死ぬという人もいると思います。わたしの周囲にも、「好きになったキャラはほぼ100%死ぬ」という残念な友人もいるのでまだマシかと思って気持ちを落ち着けています。しかし、推しが命を散らすのは悲しい。とはいえ、その死を乗り越えてこそ真の境地に立てるんだよ、っておばあちゃんも言ってた。(言ってない)
推しがお亡くなりになるのが避けられない運命なら、それすらも飲み込んでこれからもわたしは推しを愛でていくことを毎度決意するのです。
でもやっぱり、たまには最後まで生きててほしいな……。
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