【編集部コラム】「上手い・美味い」の基準って何や?(ミナきち)【第20弾】

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【編集部コラム】「上手い・美味い」の基準って何や?(ミナきち)【第20弾】

私ミナきち、齢43。本名は「南井(みない)」と申しますが、幼少の頃は「みなみい」と呼び間違われの連続で、それはそれは困ったものでした。「みなみい」って平仮名で書いてみるとなんかエロティカルやな。
滋賀県は野洲が発祥の苗字でして、守山や野洲方面に行くと「みないさん」と読んで頂けるのですが、ちょっと外れると急に「みなみい」に変化。有効範囲が狭すぎる。
生まれてこの方同じ苗字の方に出会ったのは10人もいないほど。マイナーどころか3Aくらいの知名度なわけですが、この前ふと「南井で最強って誰や」と思いたちまして、ネットで調べてみました。するとまぁ、出てくるのはほぼこの人だけ。
「南井克己」さん。
ご存じですか?競馬会ではかなり有名な元ジョッキー。当の私は競馬には全く知識がないのですが、お名前くらいは聞いたことがあります。
しかしながらヒットするのはこのお方くらい。うーん、やっぱりマイナーだ。じゃあ、自分が「田中」とかやったら、田中の最強って誰や?と悶々と考えているうちに、深い眠りへと落ちて行ってしまいました。羊数えるよりよっぽど眠れるよ。

とまぁ、アイスブレイクはこれくらいにしましてもう一度。

私ミナきち、17歳の頃にモテたい一心でギターなんてものを始めまして、性懲りもなく今現在も同世代の友人と共に趣味でバンド活動に勤しんでおります。
で、昔からよくこの議題にぶち当たります、「上手い下手」論争。
若い頃はライブハウスで活動していると、「対バン」というバンド業界特有の制度の中で揉まれるのですが、なんせアマチュアなので自分たちだけでは満足いく動員が確保できないので全然知らないバンドたちと抱き合わせでライブをするわけです。で、リハーサルを見て他のバンドが自分たちより上手かったりすると、本番前にも関わらずバンドの士気がガタ落ち。一体誰のため何のためにライブやってんねんという感じなのですが、どうしても上手いやつはすごいという方程式がそこで成り立ち、おのずと上下関係的なものが発生してしまいまうんです。自然と敬語。人間も動物も、一目見て相手が自分より上か下かを悟るんですね。
そんな時代を経て経て経て経てこの歳になりますと、「そもそも上手い下手ってなんやねん、へっ」という境地に辿り着くのです。いつまでたっても下手やから言い訳をしているのではありませんからね。

まずは思いつくのは、「難しいことをしている=上手い」ということ。
確かに技術的に複雑なことをするのはテクニックが必要ですから、そこを「上手い」と評されるのは至極当たり前なのでしょう。
ギターで言うと、一昔前の洋楽ギタリストなんかはピロピロ速く弾くなんていうのが上手さの象徴みたいになっていましたし、日本人で言うと「MIYAVI」さんとか「押尾コータロー」さんなんかは、プレイを見てたら自分がギタリストですなんて言うのが恥ずかしくなるくらいテクニカルで華麗、そして斬新。何食って育ったらあんななるんやろ。MIYAVIさんなんてギター上手いくせに超絶男前。野球で言うと開幕の時点で50ゲームくらい自分とは差がついているようなもんです。目も当てられない。

とまぁ、これは間違いなく「上手い」という表現が当てはまるのですが、私もギタリストのはしくれの末端の手先。最近分かってきたことがあるんですが、難易度の高さだけが技術的に優れているというわけではないということ。
簡単なフレーズ、ゆったりテンポの曲を心を込めて弾く、いわゆる「ダイナミクス」を表現できるところにも「上手さ」があり、実はそれこそが非常に難しいということ。簡単なフレーズを落ち着いて、息吹を吹き込むように弾く。歌や会話もそうですよね。抑揚が表現できることこそ人の心と耳を引き付けるのです。男はアホですから、野球をやれば変化球を投げてみたがるし、ギターを持った初期の頃は必ず速弾きに憧れるもの。ロマンに弱く、自慢したがりなのです。だから「難しさ=上手さ」という認識の穴に落っこちるのでしょう。

これは往々にして、「上手い」→「美味い」にも通ずるところがあるのです。
私は仕事柄数多くの飲食店に出入りをさせて頂いており、たくさん「美味い」ものを食べる機会に恵まれています。取材の中で、その一品にかける手間ひまや情熱をお聞きすることができ、それを踏まえてお料理を口に運べるというのはこの仕事ならではの幸せな瞬間です。
が、お料理の「美味い」ってのも、いい素材使って時間かけて高い技術のもと作られたものが美味しいのかと言われると、必ずしもそうではありません。そこにある素材と道具でサッと作ったものが「美味い」という構図も間違いなく存在するのです。

結局のところ何が言いたいのかと申しますと、「上手い・下手」とか「美味い・マズい」とか言うのは、「主観」だということ。
見る人、食べる人が「GOOD!」と言えばそれが正解。
オシャレもそう。オシャレかどうかなんて基準は主観だし、ラーメンの美味しさも人それぞれ、カメラの上手い下手も写真を見た人が「素敵」となればOKなんです。
なにより、最終的に良し悪しの話になると主観で片付けるのが一番平和で終わりますからね。

というわけで最初の話に戻りますが、人間どれだけ頑張っても及ばない領域があって人がいる。そんな時は屁理屈こねて言い訳して、苦しいことからはできるだけ逃げながら一生懸命人生の荒波を乗り越えていくんだよ…という話ではなく、もし技術やクオリティ、「好き」を追及しているのだとしたら、それは他人にどう思われるかとかではなく、自分がどう思うのかが100万倍大切なんだということ。他人は気にせず自分らしく。人生とは他人を満足させるゲームではなく、自分を満足させるゲームなのです。
だから、来週に迫ったスタジオでの課題曲を全然練習していなくて全く弾けなかったとしても、俺のことを上手い下手でなんか評価するなよ、メンバー!

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hatchi

チェキポン編集部。大津市在住。コーヒーとビールと活字があればとりあえず生きていけます。今はもっぱら自転車にハマってます。

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