- 日野町
勝ったのは西?東?近江の奇祭 中山の芋競べ祭り2016
9月1日(木)、日野町で開催された「近江中山の芋競(くら)べ祭り」に行ってきまし
た。
中山の東西二つの集落が、それぞれの畑で丹精込めて育てた里芋の長さを神前で競い合う祭りで、平成3年に国の重要無形民俗文化財に指定されたそうです。
800年以上の伝統を持つという神事は、全国にも似たものはなく、天下の奇祭と
言われています。
熊野神社に参拝した後、太い孟宗竹にゆわえつけた里芋を、1㎞程離れた祭場である
野神山(のがみやま)まで行列して運びます。
東西別々の道を通って行くのですが、東の参道だけには、栗の葉が一列に敷かれ、
「むかで道」と呼ばれています。
野神山の山上には平たい石が敷き詰められ、仮の神殿が竹や木や敷石を使って、左右
二つ並べて作られていました。
裃(かみしも)を身に着けた16歳以上の氏子の青年は山若(やまわか)と呼ばれ、この日の祭儀の一切を執り行うそうです。
神様への献酒の後、神饌(しんせん)品が供えられ、その神饌品を山若にも配りまわ
り、酒宴の準備中です。
竹の箸が載ったお膳の上には、右上から、ササゲ(大角豆)、かも瓜(=冬瓜)、せんば(ズイキ=里芋の茎)、ぶど(米粉の菓子)。左上から、おり(米粉を練って、鯉の形にかたどったもの)、鏡餅。
普段はあまり目にしない物ばかりで、とても珍しいものを近くで見ることができたのが収穫のひとつでした。
膳を下げたら、次の儀式は神の角刀(すもう)。
紺の絣(かすり)の着物を着て取り組みをしているのは、山子(やまこ)と呼ばれる、8歳から14歳の氏子の男の子。山若が行司役を務めていて、右端の黒い裃姿の山若は、神様役で、神事を見守 っています。
野神山での神事スタートから、1時間半近く。
立派な孟宗竹に結えられた芋の登場に、観客やカメラマン達も「待ってました!」とばかりに目が輝きます。右端の山若が手にしているのが、定尺(じょうじゃく)と呼ばれるものさしなんだそう。
一本の木を真ん中で割り、東西の山若がそれぞれに持って、里芋の長さを測ります。このことを「芋を打つ」と言います。
江戸時代にサツマイモやジャガイモが渡来するまでは、芋と言えば里芋のことを指し
ました。
写真は、実際に野神山近くの中山の畑で見かけた里芋です。普段の里芋と比べて、大きいのが分かります。
神事で用いられるのは里芋の一種でトウノイモという芋だそうです。競べ芋の芋がどれだけ立派なのかが一目瞭然です。
双方、酔っぱらったような千鳥足で芋を打ち、測った結果を、さし向いになって報告し合います。自分の芋の方が長いと一歩も譲らず、東西入れ替わって、再度芋競べ。
左端に石が積まれて、木の棒が立っているのが神殿、平たい石が祭場に敷き詰められ
ています。
芋競べも4度目となり、西の山若が「東の芋より西の芋が、一丈も二丈も長いかと思いましたが、只今の儀につきましては、わずか一尺ばかり長う打ちましてござる」と述べ、東の山若がそれを認め、やっと勝敗がつきました!
「西が勝てば豊作、東が勝てば不作」という言い伝えがあるので、「めでたしめでた
し」と、2時間にもわたる神事が終わりました。
ちなみに一丈は約3.03m、一尺はその十分の一の30.3㎝です。
所作も言い回しも大げさで、ちょっと笑えるけれど厳かな、まるで狂言を見ているような神事でした。
神事の神饌品として紹介した「おり」を、熊野神社でお下がりとしていただきま
した。「油で揚げるとおいしく食べられます」と説明書に書いてあったので、
帰宅して調理しました。
こんがりきつね色になって、膨らんで一回り大きくなった鯉を、「食べるのもったい
ないなぁ」と思いながら、食べてみました。カリッとして、歯ごたえのある「揚げお
かき」で、少し塩味がして、素朴な味でした。ごちそうさまでした。
このお祭りは毎年9月1日午後1時から、行われています。
滋賀県のおまつりを40か所以上まわって撮影してこられたカメラマンさんが、「こんなお祭りは初めてだ」と喜んでおられました。
神戸からわざわざ見に来られたリピーターさんもおられました。しかし、県内でもまだまだ認知度は低いようで、「このお祭りを知らない友人がまだまだまわりに多いんです」と、地元の方が話されていました。
今年はもう終わってしまいましたが、来年再来年には、一人でも多くの方に実際に
行ってもらいたいと思いました。おすすめのおまつりです。
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